外科医は体育会系というイメージがあるかもしれません。それは、ほぼ間違っていない。私自身もサッカーが大好きで、高校時代はサッカー部に所属していました。現在も、長時間の手術に備えて体力づくりを心がけています。そういう私ですから、医学部生の時にはスポーツドクターを目指していました。整形外科に入って、同じ趣味を持つ患者さんと向き合いたかった。しかし、初めての臨床実習で、その進路希望はあっさりと変わってしまうのです。第一外科に配属された私。当初は外傷などに興味を持っていましたが、この診療科が扱う症例の多様性に驚かされました。医師になるなら、何でも経験できる方がいい。そう思った私は、だんだんと外科志向が強くなっていったのです。研修医時代は、地方の病院に勤務していました。人手不足を逆手にとって、通常の外科医がやらないような手技も身につけることができ、密度の濃い時間が過ごせましたね。
私は、大病院で行う準備の行き届いたがん治療よりも、他の診療科と連携した緊急性のある手術の方が、自分に合っていると感じています。患者さんは、重度の疾患を取り除くことができると、手術時の緊迫した雰囲気が嘘だったかのように笑顔で退院されていくんです。その姿を見ると、「元気になってくれてありがとう!」という気持ちがこみ上げてきますね。
もちろんこの分野では、診断ミスや術後管理の不徹底が原因で、患者さんを危険な目に遭わせてしまうこともあります。外科医に最も必要なのは、手術をすること以前に、自分一人で命を救おうと思わないことかもしれません。先輩や他科の先生、コメディカルとの連携の中でベストを尽くすことが大切なのです。
現在私は、外科手術の一方で、医局の環境づくりを行っています。若手スタッフの教育や、人事、医局のビジョンについて協議するなど、仕事は多岐にわたります。その中で、外科医を辞めたいという人の相談に乗ることもあります。医師キャリアをどのように積んでいくか。それは、各人の自由です。でも、一度志したのであれば、簡単に諦めないでほしいというのが本音です。一度休養期間をとったり、研究に専念してみたりして、また戻ってきてほしい。難しい手技を覚えるまでの道のりは長いからこそ、視野を広げて他の環境を経験しながら、外科医人生を歩んでほしいと思います。
1994年、名古屋大学卒。医師として20年を超えるキャリアを持つ。初期研修を群馬県桐生厚生病院で終えた後、市民病院に勤務。地域医療の経験を積む。その後、名古屋大学第一外科入局。専門は肝胆膵外科。現在は医局長として、医師の働く環境づくり、柔軟な教育体制の構築に力を注いでいる。