両親は教師をしていて家を空けることが多く、私は祖母によく面倒を見てもらいました。幼い頃から“おばあちゃん子”だった私は、当時肝硬変を患っていた祖母が病院に行くときも一緒でした。その頃から病院は身近な存在でしたし、祖母を助けたい、治してあげたいという気持ちがあったんですね。
名古屋大学医学部に入学してからは、自分らしさが発揮できる診療科はどこなのか、自分なりに深く考えていました。「自分は、落ち着いた環境でゆっくり考えをめぐらすことが好き。そういう環境で働き、冷静に判断するような医師になりたい」。急対応を求められる急性期医療ではなく、じっくりと患者さんと向き合いたいと感じていたのです。当時いろいろと情報収集する中で、腎臓内科は、肺炎でも何でも診て欲しいと言われるケースが多いと聞きました。診療を多く経験でき、コモン・ディジーズに対応していける総合力がつくと思い、最終的には腎臓内科に進むことを決めました。
医学生時代は、長期休暇に入るとバックパックを背負ってアフリカを旅するなど、世界を見ることが好きでした。「国境なき医師団」のような海外支援団体に所属して医療に取り組みたいと考えた時期もありました。ずっと病院で診療を続けるだけが医師ではない。様々な視点から医療を見たいと考えていましたね。ですから、基礎研究にも興味を持って取り組みました。研修を終えてからは名古屋大学大学院医学系研究科の旧生体防御研究室で「腎臓の自然免疫」をテーマに研究に取り組み、学位を取得。さらに米国留学でボストンのBrigham & Wom en’s Hospital and Harvard Medical Schoolへ。血管病理学教室でリサーチフェローとして、引き続き、腎臓における免疫学に関する基礎研究を行いました。基礎研究に注力したことで、この分野への興味はさらに深まりました。細胞ひとつを見ても、それが体内でどのような働きをし、どのようなプロセスを経て病気が起こるのかを理解できる。目の前の患者さんだけに必死になり続けていたら、視野も広がらないし、新しい気づきから診療の質を向上させることもできません。それだけ、臨床医が基礎研究をする意味はあると思います。
大学病院で研究することは、臨床医にとって本当に大切なこと。大学病院も関連病院も、みんなでタッグを組んで症例を集め、エビデンスを構築するのだという意識の中で研究に取り組んでこそ、チーム医療が実現できるのです。私は現在医局長をしていて、医師教育にも関わっていますが、一番伝えたいことは、研究を通して視野を広げること。視野の広い医師は、医師同士の交流はもちろん、患者さんとのコミュニケーションも上手になると思います。私たちは医師である以前に、人間です。相手の気持ちをグッとつかむ診療をするためには、柔軟な考えを持って相手に向き合い、歩んでいくことが大切です。恥もいっぱいかいてほしい。患者さんとのコミュニケーションがうまくいかないこともあるけど、一方通行の会話ではなく、心から関わっていく。患者さんも医師も対等な立場で、たまには冗談を言いながら、一体化したような関係になれるといいですね。私の医局づくりでは、そんな視野の広い、イキイキとした先生たちを増やすことが目標です。
1993年、名古屋大学卒。社会保険中京病院(現・独立行政法人地域医療機能推進機構 中京病院)にて2年間研修を行った後、腎臓内科での診療に従事する。その後、大学院、留学先(Brigham&Women’s Hospital and Harvard Medical School)にて腎臓の免疫機能に関する基礎研究を行う。現在も「腎臓における免疫学」をテーマに研究を継続しながら、医局長として若手医師の教育、医局の環境整備をすすめる。