医学部に進もうと考えたのは、高校時代。決められた仕事をこなすことよりも、自分で道を切り開いていくような仕事に憧れを持っていました。医師になれば、治療を通してそれが実現できると考えたのです。また、自分が起こした行動によって人を救い、社会に貢献できるというのも大きな魅力でした。
その後進学し、6年間授業を受け、実習を行う中で、目指す医師像が明確になってきました。やるからには、自分で診断して手術し、完治させるという全工程を行いたい。相当な根気が必要だと感じていましたが、一生の仕事として続けていくのだから、治療のすべてに携われる診療科に進みたいと、心に決めたのです。そんな私にとって、整形外科と耳鼻咽喉科は魅力的な分野でした。いろいろと悩みましたが、視力以外の感覚器をすべて網羅しており、内科的要素も外科的要素もあるという点から耳鼻咽喉科を選びました。また、感覚器の疾患によって精神状態が不安定になる患者さんは少なくありません。そういう方々へ治療を続けて笑顔を取り戻したい、という思いも強かったですね。
現在私は耳科手術を専門にしており、手術の中でも最近は人工内耳手術を数多く担当しています。人工内耳により、一度聴力を失っても、再獲得することができる。とても画期的な治療法です。私は、自分が手術を担当させていただいた患者さんがリハビリに専念されているのを見たり、回復して会話ができるような状態になると、本当にこの仕事をやっていてよかったと感じます。「聞こえる」そして、「味が分かる」「香りが分かる」という行為が、当たり前にできる幸せ。そのために、私たちは大学病院内の他の診療科とも連携しながら治療に取り組んでいます。例えば脳と体を結ぶ神経や血管が通っている頭蓋底に腫瘍ができると、聴覚や平衡感覚にも障害が出ます。ですから手術は様々な診療科がローテーションで行います。最初の4時間は耳鼻咽喉科、その後脳神経外科が2時間、最後に形成外科が2時間、というように、1日のうちに様々な手術が行われるのです。大学病院のいいところは、疾患の研究と、治療技術の研鑽を積んだ専門家から治療を受けられること。そしてその環境は、私たち医師にとって、お互いに治療技術を高め、刺激し合える、いい学びの場でもあるのです。
医局長になってから、早いもので2年が経ちました。その仕事は主に、「環境づくり」です。専門医を取得する前の若手には、それぞれが志望する専門分野に合う関連病院を紹介し、じっくり学べる環境をつくります。大学院生には研究を進めやすい環境づくりを、そして、子育て中の先生方へは、勤務環境づくりを行います。
最近は特に、研究への取り組みを強化しようとしています。私自身の研究は、突発性難聴、メニエール病など、聴覚や平衡感覚に関連する内容が中心で、これまでも多くの論文を発表してきました。教室内で切磋琢磨し、皆、学会発表にも前向きです。そんな中で、名大病院耳鼻咽喉科は2011年、「研究論文に着目した日本の大学ベンチマーキング2011」(文部科学省科学技術政策研究所による)において、英語論文被引用数が日本で1位と発表されました。私たちの研究が、多くの専門家たちから注目を浴びている。これは本当に喜ばしいことであり、認められたからには、確実に治療に結びつけていかなければならないと思っています。
2003年、名古屋大学卒。中部労災病院初期研修医を経て、同院耳鼻咽喉科スタッフとなったのち、名大病院耳鼻咽喉科入局。現在は主に耳科手術を手掛ける。「研究論文に着目した日本の大学ベンチマーキング2011」(文部科学省科学技術政策研究所による)において、同医局の英語論文被引用数が日本で1位を記録したこともあり、医局長として臨床研究を進めやすい環境づくりにも注力している。