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代表インタビュー 化学療法部

腫瘍を通して患者さんを診る。死の間際まで、最善を尽くす。柴田剛志先生

柴田剛志先生

新生児と神経の分野を掘り下げて
救える子どもを増やしたい!

「この子たちのためなら、大変な思いをしても働き続けられる」。私が初期研修中に小児科の診療を経験して感じたことです。
素直な態度で接してくる子どもたち——低体重で生まれて体調が不安定であったり、脳に障害があったりと、様々な問題を抱えながら懸命に生きている。その姿を見て、小児科医になり子どもたちを救いたいと思いました。また、小児科医師としてのキャリアを歩みはじめた頃、多くの小児科医が小児科のなかで1種類のサブスペシャリティを身につけるのに対して、私は新生児と神経の2種類を深く学んでいきたいと考えました。倍の時間がかかる大変な選択。それを思い切って決断した理由は、自分が担当した新生児に神経疾患が疑われる場合に、神経の分野だけを深めてもNICUで集中治療を受けている目の前の新生児を救うことができないと思ったから。また反対に、新生児の分野だけを深めても成長した子どもの神経科的管理が必要なときに助けになれない、と感じたためです。「脳障害と闘っている赤ちゃんを守りたい」という強い信念のもと、自分の道をきめました。

二度の留学を経験。
新生児神経の道を一歩ずつ歩みはじめた。

2つの専門分野を極めるという異色のキャリアパスを築こうとしている私には、当然、困難もありました。しかし、上司から国内留学という道もあると助言をいただき、埼玉県立小児医療センター(こども病院)へ行き、新生児に関わる臨床の経験を多く積むことができました。研修先が名大病院の関連病院ではなくても、私の想い描くキャリアパスを理解して背中を押してくださった方々に感謝しています。
その後、関連病院に戻り神経科の経験を積みながら、名古屋大学の社会人大学院を卒業した私は二度目の留学の機会を得ました。新生児神経の臨床研究をさらに深く行いたいという想いがつのり、アメリカのワシントン大学に渡ったのです。主に、新生児の脳のMRI解析に取り組みました。最先端の機器と技術を使うことで疾患の兆候を数値ではっきりと確認することができました。これは、国内の機器と技術ではできない精密技能で、とても興味深いものでした。こうして新生児神経の研究は私の医師人生のベースとなり、現在は、てんかんや脳性まひ、筋肉や神経に疾患がある幼い患者さんたちと毎日関わっています。多くの現場を経験し、様々な状態の患者さんに出会い、誠実に医療に取り組まなければという気持ちがどんどん強くなっていきました。

柴田剛志先生

子どもが健康で立派に育つ国づくりに貢献したい。

現在、社会的には少子化が大きなテーマとなり、採算が取れず小児科部門の運営が厳しい病院も存在します。しかし、これからの日本を担っていく人材を育てていかなければ日本は破たんする。大きくいってしまえば、子どもは日本の未来を支える財産なのです。私たちはその貴重な存在を、医療の力で支えていかなければならない。そこに使命があると思っています。私自身はずっと新生児と神経を中心に研究をしてきました。研究をはじめた頃は未熟児の生存率が低く、生き延びることができても脳性まひが残ったり、知的な障害を抱えたりしていました。今後は、研究成果を少しでも早く臨床に還元し、また、後輩たちと研究をさらに発展させていきたい。自分が医師を辞めるまでに、脳性まひや知的な障害を抱える子どもがほとんどみられなくなる。そんな日が来ることを願い、これからも小児科医の道をひたすら歩み続けていきたいと思います。

プロフィール

1998年、名古屋大学卒。卒後は初期研修を含め、名古屋大学関連病院で臨床に従事。その後、国内留学で埼玉県立小児医療センター(こども病院)へ。新生児を対象とした臨床経験を積む。さらに、海外留学で米国へ渡り、新生児神経の臨床研究に取り組んだ。今後は臨床医としてのキャリアをさらに積みながら、教育を通して研究と臨床の面白さを若い世代と共有していく。

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