私の両親は医師でした。特に、母が眼科医だったのがこの分野に進んだきっかけです。子どもの頃、週末はいつも回診に行く母の後ろにべったりついて行き、診療を行う母を後ろから眺めていました。仕事をする姿を見て「かっこいい」と感じていましたね。自分もそうなりたいと思い、医学部を目指しました。
岐阜大学医学部6年生の時、眼科医として生きる決心は固まっていました。初期研修で一宮市民病院にお世話になったのですが、重症度の高い眼疾患に接し、手術や治療をしていく過程を見学して、やりがいがある分野だと確信しました。身体が元気でも、視力が低下している状態では、患者さんは元気に生きられない。自分が行う治療によって、患者さんの行動範囲を広げ、笑顔を取り戻したいという気持ちを胸に抱くようになりました。
初期研修終了後は、そのまま臨床を続けていく道もあるのですが、私は大学院に進学しました。研修先の尊敬する上司が名古屋大学大学院医学系研究科を卒業しており、私も同じキャリアパスを歩みたいと思ったのです。また、眼科で教授をされている寺崎先生は、育児・家庭と両立して活躍しており、とてもパワフルでしたので、私も先生のもとで、眼科医を一生の仕事として続けていきたいと考えていましたね。
大学院時代は、臨床研究に没頭しました。テーマは、未熟児網膜症。予定日より早く生まれた未熟児の疾患です。誕生時の体重が1,800g 以下、もしくは、在胎週数34 週以下の未熟児は、網膜の血管が完全に成長していない状態にあります。その結果、血管の伸びが途中で止まってしまい、枝分かれしたり、眼の中心にむかって立ち上がったりと、異常な発達をする。失明することも、まれではありません。十分な治療ができなければ、姿勢や歩行にも影響が出て、発達全体が遅れてしまうかもしれない。私の研究が、人の一生を左右する。そう考えると自分自身の研究内容に強い使命感を感じるようになりました。
何の罪もない子どもが、一生の障害を負ってしまう。そのリスクを回避できるのは医師しかいないと思うと、何としてでも最適な治療法を確立させたいと思います。これは、現在2児の母親でもある私自身が、心から願うことでもあります。救急医療の進化は素晴らしいことですが、残念ながら、救命率が上がると重症度の高い未熟児網膜症患者は増える。眼科も進化しなければなりません。「早く生まれたから仕方ない」では、その子の命を救った意味がない。だからこそ、第一に成し遂げたいことは、失明の前段階である網膜剥離を確実に防ぐこと。そして、将来的には、安全な薬物治療法を確立し、世界中で標準的な治療として採用されるまでにすることが目標です。眼科医は、目だけに関わっているのではありません。見えることで、人は喜びを感じますし、様々な表情がつくられます。現在は、治療薬の種類が増え、大掛かりな手術による侵襲がなくても患者さんの視力を回復できるようになりました。眼科医のやりがいを考えて、若いみなさんにも、この世界でぜひチャレンジしてほしいと思います。
2004年、岐阜大学卒。一宮市民病院で研修中、重症度の高い未熟児網膜症患者を名古屋大学に紹介した経験から、未熟児網膜症を予防できる眼科医になりたいと名古屋大学眼科に入局する。その後、名古屋大学大学院医学系研究科にて未熟児網膜症の臨床研究を行い、学位を取得。結婚と二度の出産を経験し、現在は名大病院眼科にフルタイムで勤務している。